2012年8月24日金曜日

眉墨の歴史とアルファウェイ

アルファウェイに出会ってから」です。こんにちは! 今日も化粧品についてとアルファウェイについてお話するので、よろしくお願いします。 今回お話するのは眉墨の歴史について。調べてみたら興味深かったので、お話させていただきます。 平安時代の日本の上流社会では、眉毛を抜いた上で「掃墨」という粉末状の墨で眉を描く風習があり、引眉と呼ばれていたそうですね。江戸時代には、引眉の風習は既婚女性のものとなったそう。ですが引眉は近代社会にはふさわしくない奇異な習慣と思われたので、明治3年(1870年)、お歯黒とともに禁止令が出、明治時代にはすたれました。 明治時代から大正時代にかけては、女性の眉はあまり手を加えず自然のままにしておくことが多く、くっきり太い眉が好まれたそうですね。1920年代にはモガの間では下がり眉が流行していたとのこと。 現代になってからは眉の形状にもさまざまな流行が発生し、太い眉が流行する時代もあれば、細い眉が流行する時期もあるそうです。 1980年代の日本では太い眉が流行し、眉墨で黒々とした眉を描くことがあったそう。また、1990年代中頃には、逆に極端な細眉が流行しましたね。眉毛を線状に剃り残し、短く切りそろえてあとは剃ってしまったり、あるいはすべて剃り落してしまった後で、細い眉を描くことも行われたそうです。1990年代後半には、眉ラインを作れるテンプレートも定着し、若い男性の間でも、眉を細く整えることが流行しました。 2000年代に入ってからは眉の太さは多様化しているとのことです。太く自然な感じに仕上げた眉を好む女性もよく見かけられるようになったようですが、1990年代そのままの細い眉も依然多く見られるそう。男性の間でも眉を細く手入れする習慣が定着するようになっているとのことです。ただし、男性の場合、眉毛を切ったり抜いたりするに留まり、女性のように眉墨で描く加工まではしないことが多いですね。 眉墨の歴史興味深いです。 では今日はこのへんで。「アルファウェイに出会ってから」でした。